酒を止めるにゃブログが良い

禁酒している間は絶対に書くブログ。断酒やらアルコールやら。

根底(256日目)

禁酒やらのイライラやらストレスやら、今日もダラダラ。

少しでも自分と同じように苦しんでいる人がいると思って、ネットでいろいろ検索するが、みんな幸せそうなことばかり書いている。

半年経ったらだいぶ楽になって心も豊かになるなど自分とは縁遠いものと感じて仕方がない。

自分の今の落ち込みは、禁酒によるものと言うのもあるだろうが、それだけじゃないような気がしてきた。

つまりお酒によって隠していたものが飲まないことによって表面に出てきたのだ。

 

まるでダムに沈没した村が、ダムが干上がった結果ゆっくりと浮上してくるかのように。

しかもそこに進んでいたものはやつ墓村染みた問題が眠っていると言うわけだ。

 

自分の劣等感の根源は両親から愛されていないと言う気持ちだろう。両親から自分が愛されていなかったと気づいたのは20代も後半だった。表面から見れば愛されていたかもしれない。それなりにものを恵んでもらったし大学までは生かしてもらった。

ただなんというか、両親と面と向かって自分のことをちゃんと話し合った記憶がない。

あれが普通だと思っていたが、うちの両親はかなり今思うと仲があれだ。

大学時代自分の両親がお見合い結婚したことを知った先生がお酒の席で「もしかしたら両親は愛し合っていないのかもしれない」と言った。お酒の席だし、そんなことないと僕は流していたが今ならわかる。

先生は僕と言う人間を見てその奥の僕の両親の関係性を見ていたのだ。

そもそも自分が愛されていないと気づいたのも、お酒に飲まれながら自分が行き詰まっていた時、どうしてこんなに苦しいんだと思いながらどっかで見聞きした自分と向き合う方法と言うのを試したからだ。

自分に問いかけて自分を慰めながら自分が欲しているものを真に調べる。

その結果僕は愛されることを望んでいた。

これは結構な衝撃だった。自分はそれなりに愛されてはいたと思っていたからだ。でも肝心の心は全く愛で埋まっていなかった。

上部はまともな両親ぶって全くそんなことがなかった。うちの父は子供を育てると言うことに興味がなかったし、母に関しては勝手に育つと思っていたと言う。

勝手に育つわけがないではないか。

いやまぁ人によっては勝手に育つ人もいるのかもしれないが少なくとも自分はそうではなかった。

人の育て方もわからないような人間が何人も子供を産んで、まともな家庭になるわけがない。

もしかしたらもう少し人数が少なければうまくいったかもしれないが、自分と言う末っ子が邪魔だったようにも思うことがある。つまり余計な人数だったのだ。自分と言う存在は。

自分がいなければもっと家族はまともな形であったんじゃないかとちょいちょい考える。まぁ生まれてしまったものは仕方がないし、今更どうこう言う気もないけれど。ここで位吐き出させて欲しい。

ともかく、ネットに転がっている禁酒成功と他の人と、そもそも根底が違うのだ自分とは。

自分は親の代わりをお酒に求めていたのかもしれない。少なくともネットで体験顔を上げるような人はお酒にそこまで依存していないのだろう。

そしてうちの家系は代々酒に飲まれる人が多い。

人間の性格の半分は遺伝的な要因から決まるとも言われている。

 

ろくでもない家庭に、遺伝的な要因が加わって自分は酒に溺れていたようだ。

 

こんなものを書き出したところで何になるかわからない。人に見せるものでは無いかもしれない。ただこういうネガティブに感情を今のうちに書き出しておけばいつか見返すことがあればその時の自分の心がわかる。

また仮に自分が何かあったとしてもこうやってネットの海に漂っているだけでも慰めになるではないか。

 

こんな話をしていたら、お酒が恋しくなってしまった。

もちろん、まだ飲む気は無いけれど。