口はなんちゃら(禁酒323日目)
今日は失敗した。
余計なことをしゃべりすぎてしまった。
しゃべった相手が悪いわけではない。いい人で、自分のことを気にかけてくれていている。
自分が油断していたのだ。
おそらく向こうの人は大したことを思っていないだろうが、しゃべりすぎた自分が許せない。そのせいで今日1日は何も手がつかなかった。
それこそお酒でも飲もうかと思った位。
これが禁酒一か月以内だったら、間違いなく飲んでいただろう。
その欲求に勝ったら、次にやってきたのは無力感である。
こういう時に言うことではないが、なかなかに面白い無力感であった。
今までは、何かを食べたり無駄遣いしたりそういう衝動が強く襲ってくるんだが、今回はそういうことが一切なかった。
ひたすら無気力であった。
無気力だからと言って何もしなかったわけでもなく、ただ時間が過ぎて欲しかったから、ちょっとゲームをしたり。それでゲームに苛立って、コーヒーを一気したりして。
こーゆーどうしようもない感情は、時間が解決してくれることはわかっている。
逆に言えば、時間が過ぎる以外に解決のしようがないのである。
やけになって何もかも投げ出したいモードに入っているが、それも時間が解決してくれるだろう。
余計なことを考えすぎて、そのうちに余計なことを考えるのすら億劫になって。
こうなる原因も、自分のめんどくさい性格と言うのもわかっている。
そういえば、昔友達に言われたことを思い出した。
お前は、目の前にある楽な道を避けて、あえて自分から難しい道を選んでいる。
なるほど確かにその通りかもしれない。
多分、周りにはいろんな自分を助けてくれるための糸が垂れている。
だがそれをつかみたくないのである。
なぜか、と言われたらわからない。
強いて言うならば、自分の著しい自己評価の低さがあるんだろう。
その自己評価の低さの理由の1つは、幼い頃の家庭環境が間違いなくある。
ここを養えない事は、人生の大きなハンデであった。今更そんなことを後悔しても仕方ないし、自分が後悔して何とかなることでもない。
最近思うが考えれば考えるほど、人生と言うのは自分で決められる事は少ない。生まれたときにある程度決まってしまっている。
若くして成功した人も、一見何も持たずに成功した人も、その背景には必ず、成功するべき土台があった。
それは家庭環境であり、遺伝子であり、偶然にも周りにいた手を差し伸べてくれた誰かだ。
そういうものを持たずに育ってきた人は、本来生まれた頃から子供の頃に養うべき土台を、人生をかけて作らなければならない。
めんどくさいが仕方がない、それが人生である。
自分にも最近まで、お酒と言う手を差し伸べてくれた存在があったが、お酒が垂らしてくれていた救いの糸も自分で振り払ってしまった。
すべての糸を振り払って、進む愚かな私の人生。さてどうなることやら。
憂鬱な気分で、明日も適当に頑張ろう。